2014年9月21日日曜日

女人禁制の山〝立山〟

今日の室堂は雲一つない快晴~♪
少し風は冷たいですが、秋の太陽に照らされてキラキラと輝く立山☆
澄んだ空気にこのまま“ふらっと”山に行きたい衝動を抑えて室堂ターミナルに帰ってきました(笑)


室堂ターミナル屋上からもはっきりと富山平野が見渡せました☆
空の、海の、山の(緑?)目と心に優しい立山です^^



三年に一度の祭典!! 今年は天気にも恵まれ本日行われました。
立山信仰女性の儀式〝布橋灌頂会〟

 

江戸時代、立山は山中に地獄や浄土がある“あの世”の世界と考えられていました。
男性はあの世の立山に入山することで、擬似的に死者となり、地獄の責め苦に見立てられた厳しい禅定登山を行うことで、自分の罪や穢れを滅ぼして下山します。こうして新たな人格・生命に再生し、現世の安穏や死後の浄土往生が約束されました。
しかし、当時の立山は女人禁制の場所でした。
そこで、江戸時代、毎年秋彼岸の中日に山麓の芦峅寺村では、男性の禅定登山と同義の儀礼として、村の閻魔堂・布橋・姥堂の宗教施設を舞台に、女性の浄土往生を願って「布橋大灌頂」の法会が開催されました。

この世から見たあの世。あの世にはハッキリと三霊峰立山がたたずんでいます。


布橋の下を流れるうば堂川を三途の川に見立て、布橋はこの世(此岸)とあの世(彼岸)の境界と考えられていました。女性たちは白装束をまとい、目隠しをして布橋を渡り、うば堂内で念仏を唱え、再び布橋を渡ります。
無事に渡り切ると、死後に極楽浄土に至ることができると信じられていた。明治初期の廃仏毀釈によって儀式は廃れたが、平成8年の国民文化祭で136年ぶりに再現され、その後、平成17年、18年、21年、23年に“心の癒しの儀式”として開催されてきました。




~立山信仰~

 立山信仰とは、平安時代末期から江戸時代にかけて信仰を集めた神仏混こうの山岳信仰。
立山には地獄から浄土まで、すべての世界が存在するとされ、登拝することで罪や汚れのない新しい自分に生まれ変われると信じられていました。(禅定登山をする事で罪は消える。)
また、地獄谷で死者を供養すれば、地獄に堕ちた霊も極楽浄土で往生できるとされていた。立山信仰を布教するため、立山山麓の芦峅寺と岩峅寺の衆徒たちは、立山の山岳景観や阿弥陀三尊来迎の様子、立山地獄、布橋灌頂会などを描いた立山曼荼羅を持って全国を回り、立山開山の由来や立山の地獄・極楽の世界などを独特の節回しで絵解きしていったそうです。



この世とあの世を、つなぐ橋“布橋”!!
江戸時代の女性はこの布橋を渡るのに、300万円〜30万円もの大金をはたいて参加していたそうです。
今では、参加人数は限られていますがどなたでも参加できるイベントとなりました。


次回、参加したいと言う方は こちらまで 三年後ですかね(笑)




saka★megu


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